サンクチュアリ

私の聖域=秘密基地

ひとり遊び

外の世界へ求め彷徨っても、帰ってくるのは結局、自分のへや。

”しいたけ”によると、”ほかの人より思考がストイックらしい。

今まで、気づかなかった。

死なない限り、自分の後頭部は一生見ることはできない。

 

籠り症だったなと。

仕上げることが目標ではあるが、その過程に見る自分だけの景色が好きだった。

人とは共有できない世界。

そういえば、そんな時間が失われていた。

お金にならないものは、あそび。

精一杯遊んでも、出来たらポイっと捨てることもできた。

なぜならその過程中に、すべて頂いたから。

買い物したのに、置いてきちゃうお母さんのように。

 

ジグソーパズルは頭の中を形にしたもの。

見えないもの(1ピース)片手にヒントを探し、合わせては探しを繰り返す。

完成図は分かっている。ただ、このピースは何処のだ?

 

迷子のお知らせ:迷子ピースたちを集めて分けておく。

迷子は、いずれハマる場所を見つける。

なんちゃって人生の旅人のように。

 

--コントロールするのは、神目線の私に委ねられる。

ピースたちは今日も場所が見つからず迷子のままなのか。--

 

 また、別のやり方として、最初に色分けをしておくこと。

カラフルな絵のパズルの場合はやりやすくなる。

顔のあるパズルをやるときは、目や顔の一部がわかるものを先に拾っておく。

目印になるから。

 

よくやることだが、出来上がり間近でマジか!な雪崩崩しを起こすこと。

一瞬の気のゆるみが、またはじめからやり直し。

ドミノ倒しのやり直しのように。

 

人生と違うところは、間違いがわかりやすいこと。

はめる前にわかることもあるが、ハマったと思ったら違ってたってこともある。

難易度の高い細かい絵柄の箇所はそんなこともある。

”神は細部に宿る”、って使い方あってるかな。

 

ひとり遊びしてたら人生の核に触れていた日。

子供の私はもっと大人だったな。