サンクチュアリ

私の聖域=秘密基地

父と母の歴史

子供の私は冷静だった。

取り乱すことはない。

話すことができない時は泣いた。

責められると怒った。

表現が泣くことと怒ること。

話すことがうまくないと思っていた。

というか、話し方がうまくないと言われたから。

母からの言葉が自分の姿だと思い込んでいた。

家は落ち着く。

そこに家族が居ると落ち着かない。

爆弾を持った父と母。

何かの拍子で火が付く。

火が付かないようにするより、飛び火がこないようにすること。

部屋、自分の空間、自分の世界に居ることが防御。

表現方法が乏しい二人のもと、見て覚える器用貧乏となった。

歴史はくり返される。

自分の意見や気持ちを出すとき、泣くか怒ってしまう。

なぜ、冷静にものが言えない。

話してる自分を別の自分が見てる。

鏡で自分の顔を見るんじゃなくて、写真に撮った自分を見ている気持ち悪さ。変な話し方してる、嫌な言い回ししてる。

自分の言葉を聞くのが嫌いになってる。

別の自分がしゃべるな、って言う。

発してしまった言葉は取り消しできないから。

もう、ずっと昔に言われた母の言葉とかはっきり映像として記憶してる。

いつでも再生できる。

最近、その自分が一緒にいる気がする。

一人の時、私という個性を感じる。

家族の中に居るとその自分が出てくる。

嵐の中で育つとそれが普通と感じる。

恐怖を感じると出たくなる。

一般的な幸せに出会うと否定したくなる。

結果、自分が壊しているときもあった。

嵐に立ち向かっている瞬間が私の幸せなのかもしれない。

それとも、ただのトラブルメーカーかもしれない。

自分に病名を付けたがって検索。

相手の病名も知りたがって異常。

次に会う時は二人をどんな風に見るだろう。

最後には二人をどう見送るだろう。